物語を語るものが世界を支配する

ドラマ、映画、小説、マンガなどあらゆる”物語”について語っていきます。ブログ名は、ネイティブアメリカンのホピ族の諺から。

70年台大河ドラマの主題曲は、荒々しく、生きる力に満ちあふれていた!

20世紀に比べると最近の音楽は、曲の構成というか、構造が複雑になっている気がする。

シンプルなメロディは作り尽くされ、作曲家としての技量を示すには、より高度で複雑な技をみせる必要があるのかもしれない。と推測してみるが、本当のところはどうなのだろう?

 

この傾向は大河ドラマでも同じだと感じる。
ひるがえって考えてみると、20世紀の大河ドラマの主題曲はシンプルだった。
とくに、70年代の大河ドラマのテーマ曲はシンプルで荒々しく力強かった。

 

例をあげてみよう。

 国盗り物語
冒頭の荒々しいドラムの音が、野卑で剽悍(ひょうかん)な野武士や足軽が駆け抜ける様を思わせた。
今に至る、すべての大河ドラマの主題曲の中で最も、戦国を感じさせる曲だと思う。

 

今どきの戦国系アクションゲームでは、足軽や野武士など、ただの雑魚扱いだ。
けれど、あの時代を生きた彼ら自身は、微塵もそんなことは思っていなかった。

 

自分こそが主役だ。いまはそうでなくても、間もなく、きっとそうなる。戦国の主人公は絶対に自分なのだ。彼らはそう信じていた。

 

立派な鎧でふんぞり返っている侍大将なぞ、すぐにでも馬上から引きずり下ろして討ち取り、自分がなり代わってやる。城主となり国主となって、時代の主役にのし上がってやる。

 

そういう強く激しい意思を体現したかのような、生きるエネルギーに満ち溢れた曲だった。
いますぐにでも、YOUTUBEで確かめてみるといい。

生きる力に満ち満ちたパワフルな曲が、あなたの心を揺さぶるはずだ。

 

勝海舟
砕け散る波濤とともに始まるオープニングは、世界の荒海に漕ぎ出していく幕末の時代人の心意気そのものだったと思う。

 

音楽だけではなく映像も、70年代の大河ドラマは超シンプルだ。
勝海舟」のオープニング映像は、海と帆船それだけだ。

 

荒々しく打ち寄せる怒涛か、静かな凪の水面か、海の表情は変わっても、本質的には海とそこに浮かぶ帆船以外は、映像に現れない。

映像も曲も、(現代に比べれば)取り立てて凝った技巧もひねりもない、シンプルそのもののオープニングだった。


だが、この曲もまた「国盗り物語」同様、強く生きる力を与えてくれる。

 

見も知らぬ未来の扉を開け、大海へ乗り出していく勇気を与え、混迷の時代を切り拓く闘志をかきたててくれる。荒々しくも清々しい曲だったと思う。

 

風と雲と虹と
この曲を聴くと、フランスの作曲家、モーリス・ラヴェルが1928年に作曲したバレエ曲『ボレロ』を思い出す。


ボレロと同じく、同じリズムで同じメロディーが繰り返され、最初の小さくささやかな演奏が、最後にはオーケストラによる大演奏となって終わる。

 

風と雲と虹と」は、大河ドラマで扱った中では最も古い時代の物語だ。


10世紀、平安貴族の王朝文化が最盛期を迎えようとしていた時代。中央政府の圧政に叛旗を翻して、関東に独立王国を築こうとした平将門《たいらのまさかど》を描いたドラマである。

 

純朴で真っ直ぐな若者、小次郎将門が、退廃した貴族社会の荒波に翻弄されて傷つき、狡猾な伯父たちの悪巧みで領地を失いかけ、ついに平将門の乱を引き起こす。


武士がまだ支配層ではなく、下層の貧しい武装開拓農民に過ぎなかった時代のドラマだ。

 

オープニング曲は、関東の大地から立ち上がってくる武士や農民たち、庶民の力強い姿を思い起こさせる。土の匂い、風の匂いを感じさせる。
貴族ではない、新しい武士の時代、庶民の時代の到来を予感させる曲だ。

 

もちろん、例によって映像も超シンプル。
一頭の馬が駆けていく、ただそれだけの映像だ。


けれど、その映像には、大地に根ざして生きる農民たち、武士たちの姿が重なる。
私たちと同じ庶民の姿が重なる。
傲慢な権力にNOを突きつける人々の姿が重なる。

 

これもまた、生きる力を呼び覚ましてくれる曲だったと思う。

 

これらオープニングはすべて、映像とともにYOUTUBEで見ることができる。
機会があったら、確かめてみて欲しい。

 

長々と語ってしまったが、もちろん、いまの時代の曲づくりについて、とやかく言うつもりはない。
むかしは昔、いまは今なのだ。


ただ私は時々、あのシンプルで荒々しい曲たちが、どうしようもなく聴きたくなってしまう。力強く生きる力を、取り戻したいと、願ってしまうのだ。