物語を語るものが世界を支配する

ドラマ、映画、小説、マンガなどあらゆる”物語”について語っていきます。ブログ名は、ネイティブアメリカンのホピ族の諺から。

未来ブレスト(1)自動運転が実現すると、クルマを所有しなくなる

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未来はどんなかたちをしているのだろう?
未来学という学問がある。
様々なデータやシミュレーション手法によって、未来を予想するという。


そういうデータや、ノウハウも持ち合わせていない場合、未来について考えるのは、単なる妄想だと言われるかもしれない。

けれど考えることは、間違っていたとしても、未来を予想するためのヒントになる。手がかりになる。

 

誰か、未来を知りたい人のために役に立つか、それとも駄文として読み捨てられるかはわからないけれど、新しい年のはじめにあたって、未来について、ひとりブレインストーミングしてみようと思う。


今回は自動運転の未来について、考えてみたい。

「完全な自動運転」が実現したら、どんな世の中になるだろう?


「完全な自動運転」とは、人間の介入を一切必要とせず、すべてクルマが判断してコントロールできる状態だと思っていただきたい。
技術的、法的問題がすべてクリアされている世界と仮定しよう。


「完全な自動運転」が実現したら、駐車場がほとんどいらなくなる。
と思っている。


クルマでどこかに出かけるとき、微妙に煩わしいのが駐車場探しだ。
混雑している観光地や大型ショッピングモール、あるいは大都市の中心部では、駐車場探しや入場待ちで苦労する。


けれど完全な自動運転車両なら、駐車場なんて探す必要はない。乗客はダイレクトに目的地に向かい、そこで降りるだけでいい。


クルマは自分で出発点に戻り、またあとで迎えにくる。あるいは、少し離れた空いている駐車場まで行き、また呼び出されるまで待機している、ということもできるはずだ。


いや、ちょっと待て。
それだと駐車場が不要とまではいかない。遠くに行くときは、いままでどおり駐車場が必要だろう。
と思われるかもしれない。


けれど、私はもうひとつ大きな変化が起こると思っている。
クルマを所有する意味を、人々は感じなくなるのではないか。


ドライバーである所有者本人にとって、クルマを持つ意味のひとつは、運転すること、それじたいにある。
実際的な用途とは別に、クルマを運転して走ることじたいが楽しいのだ。
だからこそ、車に愛着を感じ、飾り立てチューンナップしてきたのではないだろうか。

 

運転できない車に乗るのは、バスやタクシーに乗るのと、感覚的には変わらない。
運転できるからこそ、所有する意味を感じていたのではないだろうか?


運転できなくてもなお、車に愛着を抱く人々はそれでも残るかもしれない。けれど、多くのドライバーが運転できない車の所有欲を失っていく。と私は予想している。


そしてクルマを所有しない人々に代わって、タクシー会社、レンタカー会社、そしてカーシェアリングの会社、それらが融合したサービスを、自動運転車両を使って提供する会社がいずれ現れる。


仮にそれを自動運転カーシェアリング会社と呼ぼう。


人々は、その会社に毎月一定料金を支払って、自動運転車を使う権利を得る。利用者が負担するのは、その料金だけだ。
車の購入代金も、ガス代も、自動車保険も、車検やその他の点検・整備費用も、税金も、駐車場料金も支払う必要はない。自動運転カーシェアリング会社との契約以外の煩わしい手続きからは、すべて開放される。


それだけではない。
自動運転車はどこへでも、タクシーのように呼び寄せることができる。レンタカーやカーシェアリングの場合のように、しかるべき場所まで、利用者自身が車を取りに行く必要もなければ、返しにいく必要もない。
呼び寄せて、目的地への移動を果たせば、あとは存在を忘れてもかまわないのだ。


しかも、車種も、目的や用途に合わせて変えることができる。
4ドアセダンでも、オープンカーでも、ワンボックスカーやキャンピングカーでも好きな車種を選べる。
富裕層でなくても、多彩な車を所有しているのと同じ感覚で使えるようになる。


もちろん、自動運転カーシェアリング会社はまだ、私の頭の中の妄想だ。


けれど「完全な自動運転」が実現される未来には、従来の自動車サービスも、自動運転カーシェアリング会社のような新サービスに業態を切り替えていくと予想している。


クルマを所有せずに自動運転カーシェアリング会社を利用すれば、これだけ便利に気楽になるとしたら、どれだけの人々が所有にこだわるだろうか?
自動運転の本格化とともに、大半の人々が車を所有しない時代がやってくる、と私は思っている。


さて、駐車場がほとんどいらなくなる、という話の続きだ。


自動運転カーシェアリングが主流になれば、ある利用者を目的地まで運んだ車は、すぐ次の利用者のもとに向かうことになる。需要の高い地域なら、ほぼ24時間稼働し続けることになる。
駐車している暇などなくなるだろう。
だから駐車場は、ほとんど不要になると思うのだ。


この傾向は大都市圏ほど顕著になる。
活動人口が多く、自動運転車両の需要が高いので、駐車して遊ばせておく暇はなくなる。
地価の高い都市部では、駐車場にしていた土地は、別の運用方法を考える方が合理的となるだろう。


少なくとも、大都市圏の中心部における駐車場の需要は激減すると思う。
より郊外の地価の安い場所での需要のみになっていく、という気がする。


また、免許証を持ったドライバーがひとりも含まれていなくても、自動運転車に乗れるようになれば、子供の送り迎えも、自動運転車両に任せることができるだろう。免許証のない奥さんの買い物に旦那さんが付き合う必要もなくなるかもしれない。


運転免許証を所有する人間が絶滅危惧種になる日も、遠い未来ではないかもしれない。